人生観と人生

昨日の出来事について,今日は一日考えることになりました。

今の私の行動原理は「人生を楽しむために何をすべきか」ということであり,これを考えることができるようになって私の人生は本当に大きく変化しました。特に顕著であったのは,私が置かれている現状に対する漠然とした不安と,将来の不透明さに対する不安,この二つです。

もともと私は何事にも慎重で,どのような出来事でも真剣に捉えてしまうような冗談の通じない人間でした。その時の私は「失敗することは悪で,失敗しないように生きることが美」という思考に捕らわれていて,真面目が服を着て歩いているような性格だったと思います。私の許容量を少しでも超えてしまう事が起きると,その影響は止まることなく全ての事に支障をきたし,何もかもを狂わせてきました。世の中どうしてこんなに難しいのだろう,と考えたことも五回十回ではありません。

結局,難しかったのは世の中ではなく私の方でした。物事を難しく考えすぎていたのです。これに気付くことができたのは「人生を楽しむ」という考え方のおかげでしょう。人生を楽しむことを考えていると「人生が楽しめないのはなぜか」という疑問に行き着きます。ここで私は,失敗を悪と考えているせいで失敗ができず,だから楽しむことができない,ということに気が付くことができました。

人間はおおよそ,できることはポジティブに捉え,できないことはネガティブに捉える傾向にあり,私はポジティブに捉えることをしてこなかったのです。ここが私の人生における大きな間違いであり,考えるべきは「失敗してもそれが成長に繋がって自分を豊かにするならそれでいい」であったのかもしれません。これを納得できたときに,肩の荷が下りて表情がものすごく柔らかくなったことを覚えています。

無意識であるゆえに気が付かないことですが,人生観は全てに作用します。小さな変化であっても,それが無意識に作用する変化であれば影響はとても大きいものになるのです。

昨日の出来事では「落ち込んでいる原因を明らかにして,改善することで自分を豊かにする」ということが起こっていました。今の私の人生観が「人生を楽しむ」ということにあり,行動原理が「人生を楽しむために何をするべきか」という意識にある,ということが確認できたといえるでしょう。勉強ができるようになったとか,運動が出来るようになったとか,そういう嬉しさとは質が違います。これほどの達成感を感じたことは久しくありませんでした。ごみみたいな人生だと思っていましたが,存外捨てたものではないですね。

 

昨日友人と通話をしているときに,みんなで小説を書いているから一緒にどうか,と誘われました。高校時代の友人が数人集まってやっているようで,あまりにも面白そうだったので参加することにしました。小説と日記で交互にやっていくことになるので,短い文章で終わることが多くなるかもしれませんが,毎日続けることはしっかりと意識していきたいところです。

最近はとても暖かくなってきましたね。明日から新学期です。頑張っていきましょう。では。