本を読む人読まない人

 

本を読むことが良い影響を齎す,ということは昔から言われています。知識量が増える,理解力が上がる,集中力が上がる,年収に比例する,など読書習慣の有無による違いは度々話題になり,これらの理由から読書を始める人も多くいるでしょう。魅力的な影響が多くある読書ですが,本当の凄さは世界を広くすることにあると私は考えています。

世界を広くする,とは具体的にどういうことなのか。簡潔に述べるとすれば,それは「自分とは時代も生き方も環境も見据える先も,何もかも違う人のことを,文字を通して知ることができる」ということです。普通に生きていては絶対に会うことができないような,考えたこともないような世界を生きる人の事を,物語を通して知ることができ,時代背景や環境によって生じる,自分とは異なる考え方を学ぶことができるのです。ゆえに読書をする人は知識量が増え,理解力が上がるのでしょう。見えている世界が違うのです。

高校時代の現代文の教師がこのようなことを言っていました。「知識の分だけ世界は広くなる。語彙力はその人の世界の広さを表している」と。とても格好いい言葉です。その方は定年を過ぎて非常勤講師として勤めていたのですが,いまでも本を読むと知らない言葉や世界があって何度も何度も辞書を引いているそうです。還暦や古希を迎えてもなお新しいものに触れ続けることが出来る,それが読書の素晴らしさでしょう。

一部によると,読書の有無が発言力に影響を与える,と言われています。これは言葉の重みを意味しているのかもしれません。読書をせず勉強しかしていない人と,勉強はほどほどにして読書に時間を費やしている人では,同じ発言でも言葉に潜在する知識量が異なります。本をよく読む人は,知識が多いことでより適切な情報を発信することができ,結果として人を引き付けるのでしょう。このようなことから,年収に比例することも理解できます。

読書といえば小さい活字を追うイメージがありますが,私は特にそのような制限はないと考えています。読書で大切なのは新しい知識に触れることにあり,触れ方にこだわる必要が無いというのが私の意見です。ゆえに漫画でもテレビでも,つねに新しいものに触れることが出来るのであれば問題ないのではないでしょうか。読書が好きな人は映画も好き,という傾向が強いようですが,新しい情報に触れる媒体として,読書と同等に映画も質が良いからではないかと思います。

無駄な時間を過ごすことが多いこの頃,読書はとても有意義な暇つぶしであり,良質な知識の宝庫です。することもなく何となくテレビやユーチューブを見てしまう方,映画館所や読書をしている自分をイメージして,新しい習慣をつけてみるのもいいかもしれません。

さて,映画見ながら湯船につかってきます。では。

先の事を考える重要性

前の投稿でイメージをすることの優位性と重要性について触れましたが、これと似たことに少し先を考えて行動する,というものがあります。イメージをすることと少し先を考えて行動することはあまり関係無いように思えますが,どちらもその先には理想的な自分がいる,という本質的な共通点があります。

結果を残す人に共通してあてはまる特徴は時間の管理が上手であることだと私は思っています。仕事に限らず私生活にも様々な制限が設けられていることが多いようです。例えば,翌日やることを前日の夜にリストアップしておくもしくは朝にリストアップする,朝のルーティンがあるもしくは夜のルーティンがある,どれだけ忙しくても寝る時間は必ず確保する,自由に使える時間の大部分を習慣が占めている,などです。普通の人ではそうそう続けることができないような習慣さえも,当然のように実行してしまう彼らですが,どうしてそういったことが出来るのでしょうか。

この主たる原因はイメージにあると私は考えています。ああなりたい,こうなりたい,とイメージをすることでいずれ現実の方がイメージに寄っていく,という話をしましたが,習慣化はこれを応用し,こういう生活をしたいからこういう風に時間を使う必要がある,という理想をイメージすることで,イメージと異なる行動に違和感を持つ事から始めているのかもしれません。習慣化に向けて行動してみるが三日坊主になってしまうという経験をしたことがある方は,実際に習慣化に成功した自分を繰り返しイメージすることで,そのようなことが無くなる可能性があります。

イメージをするときに大切なのは,何度も繰り返しイメージをすることで実際の生活に違和感を覚えることです。朝早く起きる習慣を身に付けたいなら,毎日寝る前に朝早く起きている自分をイメージすればいいのです。痩せたいなら,細くなりたいなら,筋肉をつけたいなら,それぞれ理想の自分を繰り返しイメージし,それらを達成するために必要なことを考えて実行すればいいのです。

色々なことに挑戦している一環で,軽い気持ちではありましたが少し前に私も実際に取り組んでみました。大した効果は期待していませんでしたが,予想に反してとんでもなかったです。一週間足らずで生活が激変しました。あれほど習慣化とかコツコツといったことを嫌っていた私ですが,誰かにやらされるのではなく,自分のためにやっているという認識が私を動かしています。私が嫌だったのは強制される習慣であって,自発的な習慣は苦でも何でもない,ということに気付くとても良いきっかけとなりました。

いまさらっと書きましたが,理想的な自分をイメージすることは意識にも影響を及ぼします。私がやりたいことをやっている,続けることが苦ではない,むしろ続けないことに違和感を覚える,という認識が芽生え始めたら習慣化は九割成功ではないでしょうか。これはきっとやらないといけないことは分かっているがやりたくないこと,などにも有効だと思います。私はまだやっていないので分かりませんが,いずれ時期が来たらやることになると思うので,今のうちから自分に刷り込んでおこうと思います。

新しい自分と未熟さ

今日,久しぶりに昔の友人と連絡を取って色々な話をしました。大学入ってからのこと,進路について,就職について。私の大学は生徒も教授も安定志向で誰も彼もが一流企業に就職することだけを考えているのでそこにいるとその考えに染まってしまうのですが,高校の友人は大学の友人とは違って積極的で変化を好む人が多いです。不思議な人間関係を築いている人,学歴も就職も関係ないようなことを始めている人,やりたいことをやるために当然のように留年する人もいます。彼ら彼女らと話をして,やはり私にはまだ行動力が著しく足りていないとつくづく実感しました。何をするにも腰が重いし,追い込まれないとやらないし,追い込まれてもやりたくないことは頑なにやらない,こんなに甘えていてはいけない,ということを分からされました。彼らに倣って,また理想の自分になる為に,明日からさらなる行動を起こしていこうと思います。

私は一度きりの人生を楽しまないのは損だと考えていて,辛いことや苦しいことは極力避けて通るようにしています。しかし,人生を楽しむために苦しむことを拒む気はありません。理想を掲げる人は往々にしてその過程にある努力や苦悩を厭わないものです。まずは誰かのためになることから,それが人生を楽しむきっかけになると信じて,やっていこうと思います。

価値の種類

価値と言えばお金や不動産といったいわゆる資産を想像すると思いますが,必ずしもそれだけではありません。価値にはいくつか種類があります。

価値とは何か,と考えると多くの人はお金が絡む物事を思い浮かべると思います。お金は価値の代表であり,お金こそが価値を価値たらしめているのは確かですが,実はお金と直接的に関係していないのにもかかわらずお金に匹敵する価値を持つものが三つあります。

一つ目に身体的価値です。いかにお金を持っていようと,自分の体を大切に出来なければ一切の意味を持ちません。お金はそれを利用する人がいて初めて価値が見出されるものであり,あるだけのお金に価値が見出されることはないのです。さらに,身体的な不安は金銭的な不安を上回ります。ゆえに多くの人はお金をかけて体に気を使うのです。お金を貯める為には,健康が直接的に影響しているのです。

二つ目に知的価値です。教養や能力に加えて専門的な知識を持つことは価値を生み出すために必要不可欠な要素になります。誰でも獲得することが出来るゆえに,多くの人は,知識を得るためにお金を使い,多くの大人は我が子に対して勉強をするように勧めるのでしょう。

三つ目に環境的価値です。育った環境,友人や就職先の人間関係,自分の家庭等,これらの環境は人生に多大な影響を与えます。これらの中で人格が形成され,思考や振る舞いを形成するのです。環境的価値を理解できない人は生まれた時からそこに広がる環境を受け入れてそこから外に出ることなく一生を終えますが,生まれた時からそこに広がる環境の外に出ることで新たな環境を作り出すことができ,時として人生を良くも悪くもするのです。

価値は形を変えて世界中に遍在しています。今日すれ違った名前も知らない人にだって価値はあるし,誰かにとって価値ないものが他の人にとって価値あるものである可能性もある。価値とは相対的なものです。絶対的な価値は存在しません。高額で買ったものが翌日には無価値になることや,何となく拾った石が突如として規格外の価値を持つことだってあり得るのです。身体的価値,知的価値,環境的価値はこの中でも相対性が低く,ゆえにお金に匹敵する価値があるといえるでしょう。

 

途中から眠くて何かいてるか分からなくなりました。お風呂入って寝ます。では。

イメージすることの重要性

なりたい自分を少しイメージした程度で人は変わることが出来ません。この程度で人が変われるのなら日本はもう少し明るくなっていることでしょう。では,正しくイメージをすることでどのように人は変わることができるのでしょうか。

 

何かで結果を残して有名になった人はイメージという言葉を頻繁に口にします。しかし,イメージをすることがどのように結果を残すことに繋がるのか,ということを解説してくれる人は滅多にいません。誰も彼もが,成功している人はイメージをしているから私たちもイメージをすれば変わることができると信じており,歪んだ認識のまま実行をするため上手くいかずに挫折するのです。

イメージをすることの本当の凄さは,現実との差をなくすことが出来るということです。例えるならば,今の生活が目も当てられないほど滅茶苦茶で規則正しい生活とは程遠い生活をしていようと,毎日朝早く起きて健康的な生活を送ることが出来ている,というイメージをし続けることで,いずれ規則正しい生活をしていない自分に違和感を覚え始め,少しずつ現実がイメージへと寄っていく,といった感じです。強くイメージし続けることでいずれ現実とイメージの間にあるギャップに違和感を覚えるようになり,最後には現実がイメージに寄っていく,だからイメージをすることが結果を残すことに繋がるのです。これは学問,運動,ゲーム,芸術,その他どの分野においてもあてはまります。

イメージをするうえで大切なのは主に現実と乖離しすぎていないこと,出来るだけ鮮明にイメージをすること,同じイメージを馴染むまで繰り返すこと,の三つです。

一つ目に現実と乖離しすぎていないことについて。これは,あまりに乖離し過ぎたイメージは現状とのギャップを掴みにくくし,結果としてギャップを埋めにくくするという欠点があります。夢も大きすぎると夢として終わってしまうということです。遠すぎず近すぎない,適度な差であることが大切です。

二つ目に出来るだけ鮮明にイメージすることについて。これも一つ目と同様に,あまりにフワフワしたイメージは現実味を帯びることが無いため,現実との差異を掴みにくくします。できるだけ鮮明にイメージをして現実味を帯びさせることが大切になります。

三つ目に同じイメージを繰り返すことについて。人間の脳は同じイメージを繰り返すことでいずれ現実とイメージの区別が難しくなっていきます。そのため,イメージと異なる現実に対して違和感を覚えるのです。この時に,イメージを現実に寄せるのではなく,現実をイメージに寄せることために努力をすることで望ましい結果を残すことが出来る,ということです。

スピリチュアルな感じがして嫌だ,という人がいるかもしれませんが,最近では瞑想や自己肯定といったものの効果が研究で少しずつ明らかになり,科学の一つと認められてきています。理解できる事しか受け入れない人は理解できる範囲でしか生きることが出来ません。どうせなら,理解が及ばないことにも少し試してみてはいかがでしょうか。

明日桜見に行こうと思います。その為に身を清めなければ。では。

基礎とは何か

何かを習得しようとすると,必ず基礎という言葉に出会います。では,ここで言われる基礎とはいったい何なのでしょうか。

成長の速度や強度は人によってそれぞれですが,どのような場合でもその過程には必ず基礎という壁が立ちはだかります。「基礎が大切」「基礎に忠実に」「基礎を応用して」と,基礎の重要性を説く言い回しは沢山ありますが,この言葉の意味が理解できないことや,基礎としてやるべきことに疑問を抱く方は多いのではないでしょうか。基礎ってなんだ,なんでこんなことしないといけないのか,という考えを持つ原因はその物事にどの程度慣れ親しんだかにあると私は考えています。

基礎が何よりも大事という意識のせいか,新しく始めたばかりのことや,始めて間もないことであるにも関わらず基礎に忠実であろうとする人がいます。これは基礎の重要性を理解しているが故に陥ってしまう間違いです。何かを始めたばかりの人がまずやるべきことは「触れてみる」ことなのです。何かに興味を持ち新しく始める決心がついたらとりあえず触れてみて,楽しむことがとても大切になります。必要なものを揃え,それをやるための時間を確保し,気の向くままそれを体験として知ることで初めて基礎の基礎を知ることが出来るのです。

基礎とは,基礎の基礎と呼ばれるものを知り,その本質を理解することで初めて意味を持ちます。しかし,基礎と呼ばれることを高い質をもって再現することでこの手順を省くことが可能で,かつ正しく行うことが出来れば短時間で大きく成長できるため,多くの人は基礎の再現に重きを置いてしまうのです。確かに効率的ではありますが,その場しのぎであることには変わりなく,わずかでも本質に迫られると途端に使い物にならなくなってしまうという点で,基礎の基礎から発展した基礎と意味が大きく異なります。

守破離という言葉があります。これは,型を守り,型を破り,型から離れる,という修行の過程を示す言葉なのですが,これは修行に限ることなく何にでも当てはります。昔大嫌いだった英語の先生がこのように言っていました。「型を持つ人がそれを破れば型破りだが,型を持たない人はどうしようとも型無し。あのピカソですら若い頃は型を守った絵を描いていた。一般人がいう天才とは,型を徹底的に守った人か,型を徹底的に守った末に破り離れた人のどちらか。本物の天才なんてものは一般人ごときでは到底理解が及ばない」と。悔しいですが,その通りなのかもしれません。

基礎を学ぶ上で最も重要なのは型にはまることです。基礎の本質を理解できていて,繰り返し原点に戻って考え直すことが出来る人であるならばここに問題はないかもしれません。しかし,基礎を再現して成長しようとする人の中には,気が付かないうちに焦点が基礎の再現から成長に変化し我流に走ってしまうことがあります。型にはまるためには,これを矯正する必要がありますが,これを自覚することはとても難しく,ゆえに多くの人が形無しとなり挫折していくのです。

天才と呼ばれる人ですら型にはまっているのですから,普通の人が形無しでもどうにかなる,という甘い考えはよほどのことが無い限り捨てるべきでしょう。

エヴァ面白かった

ヱヴァ見てきました。Qから時間がかかりましたがファンとして完結を迎えることが出来て良かったです。いい作品に出合うことが出来ました。これからもヱヴァファンであり続けたい。

 

今日は最近の生活についてです。生活を大きく変化させてから気が付けば一か月近くたっていました。習慣とはすごいものであれだけ苦手だったはずの早起きが,今では無意識のうちに目が覚めてしまう。就寝時間が遅くなって十分な睡眠時間が確保できない日もあるのですが,昼寝すればいいや,みたいな思考をするようになってベッドから体を起こすことに抵抗が無くなりました。昔の自分では考えられません。

朝に活動するようになってから分かったことがいくつかありますが,中でも顕著だったことは「夜は頭が働かない」「昼寝の効果は絶大」の二つです。身をもってこれらを体験したときは衝撃的でした。

まずは「夜は頭が働かない」について。これは読んで字のごとく,夜は考え事に向かないということです。午後と夜の思考速度を比較してもあまり分からないのですが,午前の思考速度を知ることでその意味の意味が理解できます。夜の時間は頭を使わないことにあてるのが適切であることに気が付いてからは,頭を使うような難しいことは全てメモに残しておくようにし,基本的に頭を使わないことをするようにしています。

次に「昼寝の効果は絶大」について。十分な睡眠が確保できず日中眠くなった日に15分程度目を瞑って無心になったら,午後から夕方にかけて眠気は飛ぶわ,集中はできるわ,仕事は捗るわ,で明確な違いを経験したことがありました。これの真偽が気になって眠くない日に15分程度昼寝をしてみたところ似たような効果があって,以降,毎日とまではいきませんが継続するようになりました。

衝撃が大きかったことのみを取り上げていますが,これら以外にも変化したことは多くあり,少しずつですが確かに生活の質が上がっていっていることを実感できています。最近は朝のルーティンの時間に何か新しいことを取り入れようかと検討してみたり,瞑想が気になっていたりと,やってみたいことも絶える様子がありません。もうすぐ大学新学期が始まりますが,次の月も継続していこうと思います。

今日凄い動いたのでお風呂で疲れ取ってきます。では。